2017年5月31日水曜日

霧が少しだけ晴れた

デザインシステム研究・・・という名の、その中身は99.999999%卒業制作のためのプレパレーションだったスクーリング。
中間期間は前半最終日に先生が作ってくれた学生5人のFacebookグループ・・・名目上はオンラインプラスなのかもしれないが、まったく大学側のその機能をスルーしたそれに、そのとき既に学生5人は抱きすくめられていた。

スク前半最終日、イメージ編集Ⅱの人たちと一緒に打ちあがって若干酩酊いい気分でみたスマホ。

「5/21(日)までに以下を報告
・作品の概要(テキスト/必要であればスケッチなどあってもOK)
・進捗状況と次回スクーリングまでの目標」

先生、知ってますか?
前半でぼく、概要の"が"の字もできてなかったじゃないっすか。
進捗状況って、進捗する以前に1歩も踏み出せてなかったじゃないっすか。

0(ゼロ)に何をかけても答えはゼロ。
でも、中間を経て後半までに0.00000001でいいから、ゼロから脱しなさいよ。
そんなメッセージなんだろうと勝手に解釈して、そこからぼくの中の「日本舞踊の動きとは」との格闘がはじまった。

もう一度、日本舞踊のセオリーに置き換えたラジオ体操を振り返ってみた。
なぜ、この体操の動きは日本舞踊的ではないのか、なぜ日本舞踊的ではないと言い切れるのか、なぜその動きが日本舞踊の範囲に修正するとその動きになるのか。
身体ではわかるのに脳みそではわからない。
本能で変換している以上、そこに理論も実証も理屈もない。
ただ、「日本舞踊ならこうなんだー!!!」という、身体に植え込まれた本能だけがそれをコントロールしようしているものを、頭脳で学術的にコントロールできねば、次の一歩は、ない。

常々「言語化できないものはデザインできない」という信念を貫いているぼくにとって、言語化できないことが、言語化しきれないことが、何よりもつらく、何よりも不甲斐なかった。

言語化できないことはピクトグラム化も図化もできない。
図化もできないとそこから先の発展も閃きもインスピレーションも期待することさえできない。

どろどろの思考とピントはずれの試行錯誤を経て迎えたスクーリング後半。
正直、後半1日目って何したんだかあんまりわかってないというか・・・中間の悶々としていたものを悪化させていただけのような気がする。
けど、スク中に先生が「中間でコメントした図にするってこんなことで、ぼくは日本舞踊知らないからこんなことがわかんないだ」っていう具体的な言葉を聞いて、それをわかってもらえる努力を子供の真似事レベルでやってみた。
図化、というのを見様見真似でやってみたら、無限の文章にしてきたものがA4一枚で収まるくらいの簡単な図で外殻くらいは見せることができた。
そうしたら、思ったよりも泥沼化した思考がまとまってきて、なんか1歩を踏み出せた気がした。

図化。これ、大事。

後半スクーリング2日目。
ムサビの通学でデザイン情報学の先生が講義をしてくださった。
その内容はまさに思考を整理したりするための図化の基礎であったり、卒業制作にむけての学生(生徒ではなくて学生、ね!)としての心の在り方、思考の原点、本来ならば高校生が大学に入ってくるときに得ておくべきそのレベルまで降りてきてくださり、今更感なんて微塵もみせず、そんな根源的なことを今期よく、楽しく、面白く教えてくださった。


まさかのYOIクラスタ腐女子力がここで生きようとは・・・ムサビ、マンセーヾ(*´∀`*)ノ

正直「なんでこれ初日の最初にやってくれないんだよー(; ・`д・´)」って思った。
それは最終日の打ち上げで先生にも言った。
で、先生はこう言った。
「sizuさんが今そう言うのは、前半、中間、そして後半1日目といろいろ葛藤したりしてきたからでしょ?それをしないままに最初からこの講義を聞いたところで、今みたいな(いい意味での)反応は起きなかったよね?」
言われてみればそんな気がする。
たまたまそこまでの葛藤の中でわかってきた足りないものが落ちてきた。そんな感じ。
でも、もうちょっと・・・前半2日目の後半でやってくれていたら、中間期間にもうちょっとなんとか筋道が見えた気もする。

そして後半も終わり、打ちあがる。
打ちあがる(=ようするに飲んだくれる)の、大事!!!

ってか、ここ美味い。
このスクを乗り切った同志とならばなおさらだ!
しみず先生、この店情報いただいて、ちょーグッジョブMAX!!!
店員さんも素敵な人ばっかりでね・・・(ちょっとだけだけど、この子が元娘役とか言ったらもう萌え禿げそうなカ・ワ・イ・コ・チャン♡もいたんだよね・・・むふむふむふ💛)」・




実は、デザインシステム研究と同じ吉祥寺校でイメージ編集Ⅰのスクーリングもやっていた。
ぼくはイメ編Ⅰスクで出会ったふかさわ先生に少々負い目がある。
あれだけ先生が興味を持ってくれた企画に対して、出来上がった作品に「なにかおかしい、おもしろくなくなった」という確信を得ながらも、時間がないばかりに提出して、先生をがっかりさせてしまった。
添削を読みながら「あぁ、先生、ごめんなさいぃぃぃぃぃ」って思った勢いで「作り直してやる!」って思ったものの、今もうそれどころではなくて、せめて「卒業できたら、卒制終わったらもう一度、添削いらないから先生に再提出させてほしい!」と言いたかった。
けど、言う機会を得られなかった。

デザシス研究スクが終わり、さぁ打ち上ろうかと算段しはじめて、ちょっとイメ編Ⅰスクの様子を見に行った。
案の定、ぼくのときと同じで、きっと終わりは19時まわるコースなんだろうな~・・・な感じだった。
お世話になったTAさんや研究室の人がまだ出力(プリント)したり、断裁していたり・・・1年前よりもっと悲劇的なかんじな状況だった。


・・・イメージ編集Ⅰスク前半に出るみなさん。
納期は守ろうよ。
ぼくのときもほとんどの人が守れてなかったけど、今年もご多分に漏れず守れてない人続出してたみたいだよ?!???
デザインの仕事してたら納期は絶対だよ?
自分の作りたいものを心行くまで作りこむのは卒制なりプライベートの作家活動でやってくれるとありがたいよね?
少なくともデザインを学ぶのであれば、デザイン=納期守れ、は、ある意味ワンセットというか、それが守れないような制作進行しちゃダメだよね?
そもそも最終提出時間が決められているのであれば、そこから逆算してアイディア出しにどれだけの時間が使えるか、アイディアがOKになったとして制作に今の自分の技術レベルであればどれだけの時間が必要なのか。
技術不足であるのであれば、それを補うために最終的なアウトプットの理想をどこまで現実の技術レベルに落として妥協すべきなの?
妥協するにも最低ラインここまではやらないとダメでしょ?
そんなことをきちんと頭の中にこしらえないでなりゆきにまかせてちゃ、ダメでしょ?
しらお先生筆頭に、そのあたりの納期について、コミュデは甘い。
デザシスは厳しいというか、先生たちがすっぱりと諦めて最後までやらせる前に「次までにできるようにしてこい」という宿題なり命題のような鉄槌を落としてくれる。
自分の技術不足の尻ぬぐいは自分でしなさい。
それはある意味スパルタで、ある意味優しさだ。
だって、そこで、できない自分を貶めず、未来に希望を繋いでくれている。
勿論、それはできないカス化したぼくの主観で、できた人やできすぎちゃった人が圧倒的大多数の中での単なる落ちこぼれの主観だ。
でもね、そこで落ちこぼれた自分に対して、そこでコミュデ系スク並みの温情を受けたり甘やかされていたら、そのスクーリングで得るべきものがなんだったのかなんて甘やかな恍惚の中に雲散霧消していただろう。
未来に希望を繋ぐことが、作品となっていなくても、制作過程で手折れたとしてもも、そこで容赦なくぶった切るからこそ実現できる未来への可能性に終わってみて尚反芻させてくれる。ダメであることへの鉄槌は未来のダメの反比例効果への道を示し残してくれている。
スクーリングの時間は短い。
短いからこそ、そこで集大成するなんてことは不可能で、それよりも今後の自分の課題をきちんと具体化したものとして認識できることのほうが、いい作品を作り上げるよりも身になり為になる。
それが学びだと、ぼくは思う。
情報通信ネットワークでググれないカス化したぼくでも、課題ができてなくても終わりを告げられ、その現状をつきつけられた。
課題がこなせなかった悔しさはあるけれど、それだけでは終わらなくて、その後に、スクーリングが終わった後に「なぜこなせなかったのか」「こなすために必要なものは何だったのか」「どこで失敗して、自分はスクでもっとどうすべきだったのか」ということを考えさせてくれたことは、ありがたいし、この科目を履修してよかったと思っている。


(でも、その反省の結果はすでに捨ててますよ。でも、反省させてくれたことには本当に感謝してますし、今、糧になっています。ググれないカス経験、貴重だし、ぼくを少し変革してくれたことへの感謝は、ここに記しておきたいと思います、よ♡)


と、こんなようなことをYoI(クラスタ・腐)目線から言うなればこんな感じだろう。
ヤコフ→ヴィクトル&ヴィクトル→勇利のキスクラ説教大会をしたい気持ちを抑えながらその場を後にしようとしたとき、ふかさわ先生と、ふと目があった。
ぼくがヾ(*´∀`*)ノワーイと両手をあげたら、うっすらとスマイルの返事をくれた。

ぼくの中ではふかさわ先生はすごくいい意味で親愛と敬愛と尊敬を込めて「きょうこたん」だ。
腐女子的には〇〇たんと呼んでしまいたくなるその根底には、相手への、先生へのリスペクトは絶対的な萌えと愛情、敬愛、師弟愛、尊敬、憧憬、同志のような共感・・・こんな先生と繋がれてありがとうという感謝が込められている。
そんな腐女子的きょうこたんの表情を見て、ぼくの心は満足(納得)して次なるワクワク=打ち上げへと向かった。


(きょうこたん、待ってて!卒業したらAtoZリベンジ、Absolutely realize it!!It's a promise! It's fate!!!!!)


デザシス研究スクを終え、たった1年前のイメ編Ⅰスクへの邂逅を経て、本能のままに打ちあがって、日常の会社員の一日を経て思うこと。
卒制はその人の「萌え」を学術的に研究して、そこから得た論証に「萌え」て、その「萌え」を誰になにを言われようともぶちまけることだ。


卒制は

× 燃え尽きる
〇 萌え尽きる

〇のほうにいけたら本望だと思う。
そのために今、英語しかないDance Notationをgoogle翻訳をフル稼働している。


卒業できたら、次は英語を学ぼう。
踊りという表現は言語を超えるが、言語を超えた踊りの世界標準を得るには英語が最低限必要だ。

あぁ・・・ぼくは卒業できるのか?
そもそも卒制、できるのか?
Amazonで読めもしない英語版Notation書籍をポチりながら、近々に迫ってきた不安しかない未来にため息だけが漏れるのであった。

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