2016年11月4日金曜日

還元するということ。

コミュニケーション研究Ⅰのスクーリングでつくった制作物を、グループのメンバーがひとりで取材先のすみればに届けに行ってくれました。
ぼくも時間の都合がつけば一緒に行こうとは思ってたんですけど、いろいろあって無理で、結果としてはA氏にグループ全員の使命を押し付けてしまう形になってしまいました。
でも、こういうのって、できるだけ早いタイミングで取材先に届けできることが大事だと思うんです。
もしグループメンバー全員で一緒の届けに行こうってことになって、なかなか予定があわなくてズルズル伸びてしまっても意味がないというか、先様に申し訳ないというか・・・・・で、結果的にA氏に全面的に預ける結果となりましたが、A氏からありがたい報告が聞けました。

A氏の報告
すみればに訪問して冊子を預けてきました。「こういうタイプの作品ははじめてだね」とのこと。

あさひな先生もおっしゃってました。
「こういうのって、いままでになかったんだよ」。
ぼくたちの取材に応じてくださって面倒みてくださったボランティアさんも「はじめて」って言ってくれたのは、嬉しいというか、救いのように感じました。
だって、この表現しか、ぼくたちのグループはできなかったから。
もっと記事とかいっぱい書けたかもしれないけど、それはぼくたちの個性や感受性や表現に落とし込む文章力やその他もろもろあって、一人ならできたかもしれないけど、みんなで創るものとしてはどうにも実現することができなかったんです。
でも、文字(言葉)にできないからビジュアル化したことを認めてくださったように感じました。

A氏の報告
最初「これはなんだろう?」という雰囲気だったので、タイトルの「俺の庭 私の庭」が、取材2日目に聞いたボランティアさんの神発言「ここは俺の庭なんだ」から育ったものなんだってことを説明してくれました。
「すみればは俺の庭」だから無償でのボランティア活動も苦じゃないし、ってか楽しいし「きっとここでボランティアしてる人はみんな自分の庭だと思ってると思うよ」という神発言に感銘をうけたことからきていることをA氏が説明してくれて、「いい名前だね」と言ってくださったそうです。

そうなんですよ。
全然興味ない人たちも、自分の庭だとしたらここはどうなんだ?っていう意識を持てたからこそ、作品として作り上げることができたんです。
「俺の庭」「ぼくの庭」「私の庭」。
これからもし、自分がわからなかったり理解できなかったりしたとき、「自分の〇〇」だったらどうなんだ?っていうことを考えてデザインをしていきたいと思いました。

最後に。

A氏の報告
いつもはインタープリターのひとが1日はいるんだけど、今回はインタープリターさんが取材時にいなかったから、記事がないのはそのせいもあるのかなあー、と少し寂しそうにしていましたね。

この報告については、言い訳があります。
もしあと半日あったら、ページを増やして、グループ各人の「俺の庭 私の庭」を語る記事を入れることは可能だったし、それも考えました。
けど、それにはあまりにも時間がなくて、当初の「まずビジュアルで魅せる」がいっぱいいっぱいでした。
その代わりと言ってはなんなんですけど、ビジュアルへの熱意はA氏の報告からは先様に伝わっていたように感じました。
もし、取材時にご協力くださったボランティアさんがこの記事を見ていらしたら、これだけはわかってほしいのです。

記事にできなかったんじゃないんです。
記事よりも魅せたい(見せたい)ビジュアルがあったんです。
それだけで精一杯だったんです。
決して「インタープリターさんが取材時にいなかったから、記事がない」のではないのです。
記事にはできなかったけど、記事よりも見てほしい表現を作ったんです。
そこだけ、感じていただけたら嬉しいなって、思いました。

ちょっと遠い未来のことになってしまいそうだけど、機会を作って、ムサビ通信で何を学んだかを再認識するためにも、いつかまたすみればに行って、ぼくたちが作った作品のこととか、それから変わったこととか、体験しに行きたいと思います。
一次情報って、大事ですね。
体験の還元。
デザインって、一次情報の還元なんだと思いました。
これからの人生も一次情報の大切さを胸に刻んで、日々生きていきたいと思いました。

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