2016年7月9日土曜日

パフォーマンスは音楽になりえる。

音楽論 通信課題3、提出~ヽ( ´¬`)ノ

ってか、もにょもにょしたのをもにょもにょしたまま、言葉の定義で丸め込んでオチがないまま偶然できてしまった文章を提出してしまった、が、正解。

音楽論の課題は「音楽家、楽曲、術語、内容などと関連づけて独自のテーマを設定し、論述する」なんだけど、今回の範囲ってパフォーマンスがメインで、あんまり音楽じゃないんですよ。
言葉にならないものを無理矢理言葉にするって、どないせぇっちゅうねん(☉_☉)


というわけで、どうしていいんかわからないから、とにかく一度提出してみました。


*** タイトル ***
映画『扉をたたく人』と子供への日本舞踊の指導から考えるミュージッキングと音楽について

*** 序論 ***
映画「扉をたたく人」についてと選んだ理由
この映画の中のミュージッキングと日本舞踊の経験の中で体験したミュージッキングの両側面から考えますね、の宣言。

*** 本論 ***
クリストファー・モールは著作『ミュージッキング』で「音楽は<行為>である」であると言っていること。

映画の中でのミュージッキングについて

小学校低学年の子供に日本舞踊(正確には違うけど)の指導をしたときの体験。
→扇を太鼓や笛に見立てることがミュージッキングであること

*** 結論 ***
クリストファー・モールは「音楽は<行為>である」と説いている。
諏訪淳一郎は音楽を「語りえぬもの」と説いている。
私は「音楽は<行為>である」のではなく、「行為は音楽になりえる」のだと考える。


なんかなー もにょもにょするなー(´*ω*`)
伝えたいことがうまく言葉になってない予感が満載でございます。はい。

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