2016年7月4日月曜日

マン・レイの自伝が面白かった。

映像文化論 通信課題3、提出~ヽ( ´¬`)ノ

えー、通信課題3は「芸術としての写真について、19世紀半ば以降の写真の歴史をもとに考えるところを述べなさい」でございます。
さらに、学習指導書によれば「必要であれば以下の3つの点を参考にし、各自で糸口を探し考察しなさい」ということで・・・

・写真は既存の芸術とどんな関係にあったか。
・「芸術としての写真」と「記録としての写真」。
・芸術家が写真を作品に用いることについて考察せよ。

・・・の3つをあげてくださっている。
さらーに!!!課題2の添削で「次回の課題に向けて、ピクトリアリズム、新興主義写真、グラフジャーナリズム、スティーグリッツ、アジェ、といった項目をチェックしてみましょう」というありがたい助言までいただいている。


というわけで、ありがたく、上記全部をレポートにぶち込みました、( ´,_ゝ`)イヒ。


*** タイトル ***
芸術としての写真はどのようなものかについての考察

*** 序論 ***
芸術家が写真を作品に用いることについて。
「芸術としての写真」と「記録としての写真」についてぼくはこう思うよ、の宣言。

*** 本論 ***
ピクトリアリズム
→写真が既存の芸術と模倣の関係であったことが伺えるぞ!

ピクトリアリストたちとその団体のこと
→リンクト・インとか
→スティーグリッツ、ストレート・フォトに寝返る
→絵画的手法に頼らない純粋なストレートフォト表現

アヴァンギャルド芸術の写真(たぶんこれが新興主義写真のことだと思ったのよーん)
→レイヨグラフ、ソラリゼーション、フォトグラム、フォトモンタージュ
→バウハウス関係
→フォトモンタージュの政治的利用

ライカ登場!からの、フォトジャーナリズム(グラフジャーナリズム)
→キャンディッド・フォト
→スナップショット
→アマチュアカメラマン
→ジャーナリズムとリアリズム

アジェ
→記録と芸術、どっち?ってか、どっちでもよくね?

マン・レイの自伝からの考察
→すでに存在しているものとリアルについて

*** 結論 ***
ってか、芸術か記録かとか、その写真が芸術かどうかなんて、見る人が決めるもんだから、見る人が芸術だって思えば芸術なんだろうし、記録だって思えば記録でいいんぢゃね?・・・ダメ ( ̄し_ ̄;)?


参考文献集めと目を通すのにはけっこう時間かかったけど、素材が揃えばパズルのように組み立てていくだけでした。
でも、文脈とか前後の関係とか、史実や解釈の引用とか、そんなところに脳みそを費やしました。
いろいろわかんないことも多かったけど、ぼくなりに仕入れた知識を総動員して、先生がくださったヒントを頼りにまとめてみました。

今回はほとんど図鑑みたいな分厚い大型の写真集を参考にしました。
だって、教科書にはほとんど写真が載ってないんだもん。
なんかいっぱい写真を見たけど、(レポート書いたくせに)ぼくにはどういう写真が芸術でどういう写真が記録だか、やっぱりよくわからないし、どっちにも見えました。
写真って、なんなんですかね?( ̄_J ̄)?


引用したりして参考文献として明記した本は6冊。
その中で目を通しただけじゃなくて、ついついおもしろくて読んでしまった本がありました。

セルフポートレイト―マン・レイ自伝 (1981年)

※本が古すぎてAmazonに画像がありまへん・・・(^。^;)

古い本なんで文体も古いです。
なので、今の若い子にはかなり読みづらいかなーと思います。
でも、ぼくくらいの年齢になると、あんまり感じないというか・・・マン・レイって、この人の人生、すっげーw( ̄△ ̄;)wなんですよ。
ぜひ映画や舞台にしてほしいです。
そんな作品です。

って思ってたら、今さらこんなん見つけてしまいました。



タイトルが同じで、出版社がちがくて、2007年と比較的出版年も新しいやつ。
どっちも同じ「マン・レイ (著), 千葉 成夫 (翻訳)」ってことは、中身は同じだけど、今風に読みやすくなってるってことだと思うんよねぇ・・・

なんだよー!
こっち最初から読めばよかったよーぅ(/_<。)

※先生の添削は著作権等を考慮してぼく語に翻訳コンニャクしております。

4 件のコメント :

  1. なんか、書き込むのが面倒くさいシステムでね。
    それはともかく、僕的にsizuさんの「結論」はちょっとNGです。芸術か否かは…見る側ではなく、創る側の問題だと思います。創る側がアートだと言えばその通りなんでしょう。僕は、アートとデザインの違いは、鑑賞者を意識するかしないかだと思っています。鑑賞者を意識するということは、ウケを意識していることで、それはデザイン、つまりビジュアルビジネスです。アートは自分がよければそれでいいんです、それが一般人に受けて大金持ちになろうが、赤貧洗うがごとく生活をしても、自分がそれで幸せならいい。極論すると自分だけのためにするのがアート、他人のために表現するのがデザインですかね。(ちょっと今日は酔っていますね)

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    1. ぅううおおっ!!w(゜o゜*)wすがPAPA先輩ではないですかっ!
      コメントめっちゃ嬉しいです!
      ありがとうございまっす!

      コメント、付けづらいですよね・・・ブログの引越しも考えたんですけど、めんどくさくて放置ですσ(^_^;)

      そうそう。
      結論なんですけど、「アート」と「デザイン」だったら発信側次第だと思うんですよね。
      なんですけど、今回の場合「芸術」と「記録」で、「芸術」に「アート」と「デザイン」が含まれてる感じなんですよ。
      ほんでもって、今回は写真なんですね。
      私なんかそうなんですけど、なんにも考えずにただシャッター押しても、写真って撮れちゃったりするじゃないですか。
      で、撮れちゃった、たとえばピンボケ写真をゴミにしようとしたら、他の人が見たら「芸術的ですてき!」とか言っちゃうこともありますよね。
      絵画とかデザインって、やっぱり発信側が意志をもって発信することから始まるけど、写真って発信側が意志をもたなくても、見る人が「芸術」か「記録」かって判断しちゃうことが、他の芸術とかに比べて多いと思うんです。
      私にとっての写真って、そんなもんなんですよねぇ。
      そもそも「記録」としての写真が「芸術」か、「アート」か、「デザイン」か、それとも何なのか・・・なんてことも、私にはわからないですし。
      絵画の下絵として写真を撮った人たちって、自分が絵画を描くために撮影したわけで、他人にその写真を見てほしいと思って撮ってないってのを見た(知った)ときに、写真が「芸術」か「記録」かっていうのは見る人が決めるてもいいじゃないかなーって思ったんです。

      と、私もヨッパライで書いてますが・・・ちょっと、先生がどんな添削くれるか、楽しみになりました♪
      先生はすがPAPA先輩派か、それともぼく派か、それともまったく違う見解を持っているのか。
      なんだか面白くなってきたぞー((o(*^^*)o))ワクワク

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  2. 確かに初期の写真の場合、記録という側面が多いですね。もっとも、西洋絵画の場合、ルネサンス頃までは、限りなくリアリティを求めてきたわけで、かなり写真的な要素がありますよね。芸術が見る側にあるというのもうなづけますね。どんな好評になるか楽しみですね。

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    1. 講評でました・・・案の定というかなんというか、結論についてはなにひとつ触れられてなかったです。
      先生の見解、聞きたかったですねぇ・・・(´・ω・`)

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