2016年4月8日金曜日

見えないし聞こえない「間」は音か?

音楽論 通信課題1、提出~ヽ( ´¬`)ノ

タイトルからもご想像いただけるかと思いますが、演劇史の通信課題1に引き続き、音楽論の通信課題1でも能の道成寺で攻めてみました。

・・・・・だってね、チケット代高かったんですよ~(゚゚゚iii゚゚゚)
一応人間国宝の人が「これが最後の道成寺かも」みたいな噂があった特別公演で、チケットも入手困難で、えらい大変だったんですよ。
それを見たからには、その経験はフル活用しないと、毎度毎度公演チケット買ったりしてたら、ぼくの体力も脳みそも財布も破産しちゃいますってばてばてば・・・

というわけで、こんなレポートになりました。

ちなみに、課題内容は「教科書「序章~第1章」に記されている音楽家、楽曲、術語、内容などと関連づけて独自のテーマを設定し、論述する。」でございます。ちなみに○章~○章の数字が変わるだけで、課題2・3・4もおんなじ感じです。


*** タイトル ***
日本の伝統芸能音楽における「間」は音であるかについて


*** 序論 ***
私は日本舞踊を習っているためか「間」という言葉をとてもよく耳にする。
お稽古では「間」は音と同じようにタイミングを合わせるべき時間という意味を持っている。
西洋音楽にも「間」はあるけど、「間」は日本の伝統芸能の特色であり、表現する人においても鑑賞する人においても大切な要素だ。
そんな「間」は音なのか。
「間」は音楽を構成する要素なのであろうか。
本稿では能『道成寺』から「間」について論じる。

*** 本論 ***
なぜ「間」を論じるにあたって能『道成寺』を選んだのかの理由。
乱拍子の長い「間」にまつわるウワサ。
ウワサの検証。
検証してわかったこと、考えたこと。

*** 結論 ***
天体のハルモニアを音楽というなら、能は能楽堂のハルモニアといえるんじゃないか?ということ。
天体のハルモニアは見えないし聞こえないけど理論上音楽だと言ってるなら、「間」も見えないし聞こえないけど(検証の結果から)確かに感じるものであるんだから、「間」だって音だと言っていいし、音である以上音楽の構成要素でもあるのだという持論(結論)。



音楽論のレポートって「考察しなさい」じゃなくて、「論じなさい」なんですよね。
今まで履修した科目にも「論じなさい」ってあったのかもしれないけど、2年間ずっと、なんでもかんでも考察しまくってきたので、「論じなさい」のレポートの組み立て方にとても苦労しました。
でも、「考察しなさい」と同じように、繰り返しすればパターンが読めてきそうな感じはします。
次の課題2から4まで、全部「論じなさい」パターンなので、この科目で「論じなさい」形式の書き方(考え方)を身に着けられたらいいなーと思いました。

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今回の費用

※演劇史通信課題1と使いまわしたので経費ゼロ!v( ̄ー ̄)v

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