2016年4月28日木曜日

「論文・レポート」と「評論」は違った...

演劇史 通信課題2、合格~ヽ( ´¬`)ノ


今回の添削は、教科書の先生でも課題1の先生でもなくて、てらだ先生。
女性の先生でございます。

ちょっと調べてみたら、なんかぼく、すごい地雷を踏んだレポートを書いてたみいたいでございます・・・
・・・((((;゚Д゚))))ひょええぇぇぇぇぇ

論文検索したら、てらだ先生、論文で森田(守田)座について書かれているんですね。

『安政から文久年間の森田(守田)座 -十一代目・十二代目守田勘弥と中村翫左衛門-』
http://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/handle/2065/26936

ってか、レポート書く前に先生の論文読みたかった・・・ってくらい、参考文献でわかんなかったことが書いてある!
読み物として面白いし、勉強になります。


・・・って感想は置いといて、森田(守田)座でございますよ。
ぼくがレポートに書いた五代目坂東玉三郎は十四代目守田勘弥の養子でございます。
レポートを書くにあたって、玉さまの生まれから部屋子になり、その後養子にはいるところはもちろん、養子にはいった先の森田(守田)家の歴史なんかについてももちろん調べました。
玉さまの今の地位に上り詰めるまでの苦労とかいろいろとね・・・梨園って、いろいろあるんですよねぇ。

で、そんな玉さまの人生について、ひいては森田(守田)家との関係などもレポートに書いたわけですが、まさか添削する先生がその森田(守田)家について論文を発表されているなんて、もうビックリでございますよ。
なんかド素人がプロに向かって「守田勘弥ってこうなんだぜぇ~ うえーい乁( ˙ω˙ 乁)」と超自信満々に言っちゃった、みたいな、そんな感じですよ。


あぁぁぁぁぁぁぁなんてこったぁぁぁぁぁ
穴に入りてえぇぇぇぇぇぇ
こっぱずかしー(/ω\)


というわけで、講評でございます。

「とにかく迫力で読ませる文章で、よく調べていることもわかる。興味の視点もぶれない。(略)具体的に直せるところはないです。」

なんか、褒められてる?(゚◇゚*)

「ただし全体を拝見して気になるのは(略)どこまでも主観的に取れてしまう問いを、はたして「論じる」ことができるのかどうかという点です。」

言われてみればたしかにそうだ。
だからレポートとしてこれでいいのか?と思ったりしたのか。
すげぇ、先生ぼくにもわからなかったぼくの脳みそを透視してる・・・(;゚Д゚)!!!

というわけで、「論文・レポート」と「評論」の違いについて説明してくださいました。

評論と論文の違いは、客観的に論証する手続きが取れているかどうかの違いで、最終的に「私のものの見方」が「対象となるもの」よりも前面に押し出されるのが評論だと、私は考えています。
その意味では、評論を書いているつもりでも論文になる評論家、逆に論文を書いているつもりでも評論になっている研究者はたくさんいます。
今後、他の授業でも論文・レポートを制作される際には、やはりsizuさんなりにその区別を考え、明確に心に持っていただきたいと思います。」

ナルホド~~~ (*゚。゚)そういうことかー!
例えば今回の場合は、一歩引いて「玉三郎の白拍子花子の独自性についての考察」とかにすれば、もうちょっと論文らしいものになったかもですねぇ。

「とはいえ、あるものや人の特徴をつかまえるためには、まずそのものや人に惹かれるきっかけがなくてはつかまえる気にならないことも事実です。
このレポートではきっかけがよくわかり、舞踊を実際になさっている経験もよく活かされています。
今回はこの熱意と、積み上げてこられた経験を採りたい。
ある意味、それは採点の枠には入らないものだとも思いました。」

採点の枠に入らないものを買ってくださった先生に感謝感謝でございますー。
ってか、やっぱりムサビ通信って、文化科目でも体験や経験を高く買ってくれる気がします。
机上の空論より現実の体験ってことなんでしょうね。
通学であれば普通に学校生活送っていれば自然と体験できることも、通信だとそうはいかないことも多いでしょう。
きっと、そんなところでこういう対応をしてくださっているのではないかと、ぼくは思いました。

最後に・・・

「次は試験ですが、どのような答案を書かれるか非常に楽しみにしています。ご研鑽をお祈りします。」

とのこと。
えー(;゚Д゚)試験の採点もてらだ先生なのかな?
試験ではちゃんと評論じゃなくて、論文・レポートになるように心して挑みたいと思いました。

※先生の添削は著作権等を考慮してぼく語に翻訳コンニャクしております。

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