2015年12月6日日曜日

「ヒト・モノ・コトを繋ぐ」技術。

コミュニケーション論 課題2、提出~ヽ( ´¬`)ノ

・・・・・・ってか、この課目、なんでこんなに添削遅いんですかね?
課題1の提出が11月4日。
まる1ヶ月が経過したので、必殺1ヶ月ルール使って、課題2も提出しちゃいました。

だって、今年度最後の試験受けるためには、最終提出期限12月18日に間に合わせなくちゃだったんだもの。
ま、課題1が再提出とかだったら、その時点で課題2を頑張ってさっさと出した意味はなくなるんですけどねー・・・・・・( ´,_ゝ`)


課題2の内容は「人間コミュニケーションにおける文明技術の役割」でございます。
これについてタイトルつけて述べなさいと・・・・・・あぁ、なんと雲をつかむような、漠然としたお題目でございましょう。
わたくし、もう、自由すぎて錯乱しちゃいましたですよ、ヾ(  ̄▽)ゞオホホホホホ


最初、コンテキストをテーマに書こうと思ったんですよ。
なんですけど、今コンテキスト化されてきて、まるでドラえもんの道具みたいなものがどんどん現実化していくというお話について書いている書籍は、どいつもこいつもぼくには難しすぎて、それを消化してレポートにするにはハードルが高すぎました。
そんな中、唯一、こんなぼくにもそれなりに理解できて、しかも内容が面白くて、図書館で借りたんだけど、借りれる期間内に読みきれなくて、どうしても読みきりたくて買っちゃった本があります。
それがこれ。



コンテキストの時代―ウェアラブルがもたらす次の10年

この本から直接レポートに引用したりすることはなかったんですけど、たとえばグーグルグラスのこととか、たとえばIoTのこととか、たとえばビッグデータのこととか、たとえば未来のこととか・・・世界で起きている「今」がわかる、ええ本でございました。
特に、この本には様々な現代の技術や考え方についてのリンクURL集みたいなのがついていて、それは英語ができないぼくにとっては世界の情報の根拠を知ることができる目次みたいに活躍してくれました。
実際に、この本からは引用していませんが、この本で語られていた技術や情報の根拠として、リンク集にあるウェブサイトの情報を活用させていただきました。

こういう世界の良書が、もっと日本語化して、もっと日本で売ってほしいなって思いました。


もう1冊。



コミュニケーション論をつかむ (テキストブックス[つかむ])

コミュニケーション論の教科書、2002年初版ですよ。
2002年です。
今は2015年です。
もうすぐ2016年です。
10年以上前に書かれた、FOMAが出始めて写メールが認知度を得てきた頃の教科書で学んで、「様々なコミュニケーション技術の成果を盛り込んだメディアに取り囲まれて暮らすようになった自体をどう理解したらいいのか考えるところを述べよ」とか言われたって、そのメディア自体がまったく別物ですよ。
そんなん、この教科書読んだところで、なんの足しにもなりませんよ。
しかもこの教科書、著者の思い込み満載で、何いってんだか、ぼくくらいの脳みそレベルじゃさっぱりわからんのですよ。

そんな時間的な不満や表現の不満の隙間を、コミュニケーション論をつかむは埋めてくれました。

この本は2014年初版の本です。
コミュニケーション論を学ぶ人のテキストみたいな本です。
厚さ1センチ程度の薄い本です。
教科書を手にとって「なんぢゃこりゃ?」って思った方には、ぜひレポートを書く前に手にとってみて、ざーーーーーっと目を通して、自分に足りなそうなとこや、教科書では足りないとこだけをちょこちょこっと読むには最適な本だと思ったでございます。


そんなこんなで書いたレポート。
タイトルは『インターネット文明の技術がもたらすコミュニケーションとは』。
学習指導書の「様々なコミュニケーション技術の成果」を「インターネット文明の技術」として書きました。

インターネットでのコミュニケーションは、メールとかのテキストによるコミュニケーションからはじまって、技術の進歩で画像や動画でのコミュニケーションもできるようになって、さらにソーシャルメディアまで発展し、検索によって莫大な情報を活用できるようになり、IoTによってヒトとヒトだけではなくヒトとモノ、モノとモノまでコミュニケーションするようになったけど、でも、結局それって人間が作り出すもんだから、デメリットもちゃんと理解した上で人間社会で役立つようにちゃんと作りましょう、ってな内容をツラツラと書きました。

ツラツラ書いたんですけど、レポートとして読めるものにするのが本当にタイヘンでした。
課題が漠然としていると、レポートも漠然としてしまう。
そして論点が迷走して、漠然として破綻寸前のレポートになってしまう。
これ、ぼくの典型的自爆パターンだってことが、今回、すごくよくわかりました。

でも、助けてくれる神様が降臨しましてですね、とりあえず「でけたーヽ( ´¬`)ノ」って思ったものの何かおかしいとは感じてたレポートを、「それ、変」って、たっくさんのスーパーアドバイスをくれて、破綻しかかってたレポートがなんだかすごくステキなレポートになりました。

・・・・・・神様、こんどお神酒をご馳走させていただきます <(_ _)>♡


レポートって、(人によるかもしれませんけど・・・)第三者の意見やアドバイスが本当に勉強になります。
もちろんレポートを書きあげるに至る悪戦苦闘も身になります。
添削からも(先生によるかもしれませんけど・・・)勉強になることもたくさんあります。
けど、レポート提出前に、一度書き上げたレポートをだれかに見てもらって、意見やアドバイスを得ていい意味で悪戦苦闘すると、その悪戦苦闘の過程じたいがすごく勉強になるし、その過程がなんかわからないけど自分が成長したような実感をもたらしてくれます。
本当にありがたいもんでございます。


さて、ぼくは無事に1月の試験が受けられるのでしょうか。
それは神様ぢゃなくて、先生の胸先三寸・・・・・ただただ天命を待つのみでございます・・・・・Ω\ζ°)チーン

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